研究モードがonになった話 教員生活 2017年02月09日 そういえば、新年のあいさつもしないままでした(笑)1か月ほど前に明けましたね、おめでとうございます(笑)さて、私は大学院時代の友人に会う時間が本当に好きです。前向きで、仕事してようが、主婦やってようが、常に先のことを考えていて、話していて自分が高められる気分になるからです。先日も、仲良し3人組で昼から新宿で飲みまくってました←そんな時、ある子が「毎晩遅くまで仕事して、帰りはカフェが閉まるまで勉強している」という話をしてくれました。すげえな。と。彼女の言う「勉強」とは資格試験のことですが、そうやってもっといい仕事ができるようにと進んで行ける彼女が本当にかっこいいと思いました。さて、自分はどうでしょう。色々言い訳して、「がんばらないように」しておりました。「出る杭は打たれるから」と、くだらない言い訳をしてサボってました。根詰めしすぎても良いことないわけですが、根性なくなるのは困りものです。『教師も常に学び、成長していく存在である』というのは、IBの勉強をしてる時に聞いたのか。当たり前のことを当たり前にできないのは、大人の悪い所ですね。そんなわけで、ずーーーーーっと溜めてた研究を再スタートさせる気になりました。研究テーマの「ワラント(warrant)」ちゃん。しばらく触れてなくて忘れてることも多いし、改めて研究したことを見返すと穴だらけで疑問が多い。自分がどれだけ目先のことに縛られて論文を書いていたか、発表をしていたかがよくわかります。いや、その時はその時でちゃんとやっていたんでしょう。でも、時間が経てば新たな側面が見えてくる。今はその段階なのかもしれません。ワラントがどのように批判的思考に関連するのか。これは、そもそも対象者の批判的思考態度を調べていなかったり、批判的思考についての勉強が足りていないために論が飛躍しています。それに、モデル化を試みたところでそのモデルの妥当性が甘い。これは、修論書いてる時から気づいてはいたけど、無視してきた問題。そもそも、「ワラント」が抽出できなかったのは私の勉強不足では?という疑念もある。いや、むしろ抽出できたと思っているあの唯一のワラントも、実は主張や根拠の一部だったのではないかしら。そんな風に色々な課題がわんさか出てきて、次の論文で何を書こうか、とても楽しみになってきました。(今、こう書きながら、「私にとって論文を書くという行為は、物語を紡ぐのと同じ気持ちなのかもしれない」と感じました。どんなストーリーにしよう。どんな冒険をしよう。そんな気持ちです)もう私には、「卒業」という時間の縛りがない。私は好きな研究を、思う存分、(技術は限界がありますが)やることができるんです。こんな楽しい気分を残したくて、ブログを書きました。もう1時。明日の中2はお礼状書かせなきゃ。縦書きの便せん・・・素敵なのを買おうと思ったのに忘れた・・・TT明日もがんばろう~ PR