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The flower that blooms in adversity is the rarest and most beautiful of all.

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半年たって思うこと

前回この記事を書いたのが2月。
あれから半年以上経ちました。

私個人としては、後輩が二人になり、毎日Japanese classroomには笑いが絶えなくなりました。
みんな年も近く子どもが大好きな面々なので、安心して仕事に取り組めます。
その一方で、自分はちょっと傲慢になった気がします。
そんな反省もしつつ・・・ここ1,2か月は鬱期を過ごしております(笑)


さて、今月は特に忙しい月となりまして。
それもこれも神様からの無茶ぶりが原因なのもあり。
要するに、保護者に子どもたちの様子を見せるイベントが2週間以内に2つできたと、そういう話です。しかも、その通達は今月に入ってから出。
学校にお勤めの方なら、この無茶ぶりがどれだけ先生たちをイライラさせるかがお分かりいただけると思います。
今日はその一つの、いわゆる運動会が終わりました。
今年は子どもたちと一緒に先生が参加する競技があり、なんだかんだ本気で走りました(笑)
何年振り!?ってくらいの勢いで走りました(笑)

「しっぽおに」ってあるじゃないですか。あれが競技に入ってたんですよ。
1年生2年生の競技で、4色のチームに分かれた子どもたちがとにかくしっぽを集めまくって最後にその本数で競うというものでした。
先生たちは色が決まってない人もいたのですが、そのしっぽもカウントに入れるっていうんで子どもたち大興奮。
「○○先生のしっぽがほしい!」「Mr.××!!しっぽとるからね!」
そんな声が四方八方から飛んでいました。
もちろん私も参加。しっぽつけて走ってると、競技を見ていた上級生が応援してくれるんですね。
「Ellie先生がんばってー!!!逃げてぇぇええええー!!!!」
そんな応援聞いたら頑張りたくなるじゃないですか(笑)
小学1年生2年生を相手に全力疾走で逃げましたよね←
もちろん日ごろの運動不足が祟って、
その数秒後には4,5人に囲まれて袋のネズミだったけどね←

午後は6年生~9年生とキックベース対決でした。
生徒チームが2つと、先生チームでの対決。
日本の学校でいう、球技大会みたいな感じだったかな?
生徒同士だといつも授業でやってるからか、なんかぐだるんだよね(笑)
あいつ強いの知ってるし、とか。あいつ弱いから手加減してやんないと、とか。
でも、やっぱり先生が相手となると目の色が変わる。
ガチで作戦立てて戦おうとしてくる(笑)
投球時に大声を出すとか、ののしるとか、そういう幼稚なやつだったけど(笑)
そして先生たちが大人げないくらいマジで戦う(笑)
めっちゃファールなのに「セーーーーーーーフ!!!!」と叫びまくるとか、
子供相手に超ド級のホームランかますとか。
楽しかったなぁ。楽しそうだったなぁ。
何より、最近心から気にかけているG9の面々が楽しそうだったのが嬉しかった。
少しは、思い出になったかな。




悲しいよ。私は、悲しい。
最近、裏切られたと思う回数が増えて、
純粋な気持ちで頑張れない。
それでも子供たちは可愛くて、
きちんと育てきるまで手放したくなくて、
私の未熟さを教えてくれるあの子たちに
心から感謝していて。
なのに。それなのに。大人の世界は本当にあっけない。
学校が嫌いになりそうだ。


私は、やっぱり外の先生たちに会いに行くべきなんじゃないかと思ってる。
外のインターの先生たちに。
こんな閉鎖的な空間。何がインターナショナルだ。
G9と「グローバル」と「インターナショナル」の違いについて話し合った。
といっても、翻訳語の単元の中で、短い時間でのやり取りだったけど。
子供たちの方がよっぽど「ここはインターなのに」という思いを持っている。
先生たちにとってはここはただの「学校」なのかもしれないけど、
もう少し自覚してほしい。
ここは、「日本国内にある、英語を共通言語とした、多国籍多文化背景の子どもたちと先生が集まる学校」なのだということを。
うちの学校の中でインターナショナルだと言っていたら、それはインターナショナルではなくなってしまう。
外からの人が常に出入りする以上、常に内と外の両方を意識しなければ。


さて。
上記の件についてもう一つのイベントのスピーチ大会についても書こうと思ったけど、
思い出しただけでも腹が立ってきたのでざっと書いておしまいにする。
ある欧米系の男性教師に言われた言葉。

「日本人はいつも、スピーチというと『戦争』、『広島・長崎』、『原発』、『北朝鮮』。テーマがつまらない。そのことを話すなら、もっと子どもたちが日頃考えていることがわかるように、彼らの好きなトピックについて話させた方が面白いじゃないか。真面目で難しいテーマを話すなら、聞き手を巻き込むような内容を話さなければならない。それなのに、彼ら(生徒)のスピーチは自分の意見もない。これからどうしたいということも言わない。紹介して終わりだ。来年はこのJapan waveを変える必要がある。ここはインターナショナルスクールなのだから。」

①スピーチテーマについて
→はあ?????何、Japan Waveって(笑)インターナショナルスクールなんだから、このテーマを「日本人として」語れるようになる必要があるんじゃないのか。確かに、子どもの個性がわかりやすい点で、好きなテーマを選ばせると良いかもしれない。確かに、好きなトピックを選んだ子の発表は興味深かった。でも、好きなことだけを話すのがスピーチの場なのだろうか。好きなことばかり考えていて、国際的な人間として世界で活躍できるのだろうか。甚だ納得できない発言だった。

②スピーチの質について
→これは、私の指導力の問題もあるので一部反省させていただく。確かに、聞き手を巻き込むようなところまでは指導できなかった。
だが。それを求めるなら9年生になる前までにもっとちゃんとスピーチ指導なり、作文指導なりしておけよって。彼らのレベルで、ということになってしまうが、課題に対する答えはそれぞれ主張として語られている。そのことに対して反論したら、彼は言葉を濁して話を変えた。
教科間のつながり、学年間のつながりが無いせいで、子どもたちは意見のまとめ方も知らなかった。なんなら、「考える」という行為を放棄する姿勢になっていた。それを「考える」ことから指導するのがどれだけ大変だったか。期限が1ヶ月も無い中で、共通テーマの学習をし、自分の意見を探すために「考える」ステップを繰り返し、やっと出てきた言いたいことを文章化するのに時間がまたかかり、それを推敲するレベルまで持って行く。さらには原稿を見るなという指示をクリアするために暗記と話す練習を行う。
何度も子どもたちとぶつかった。何度も「やりたくない」「なんでこんなことしなきゃいけないの」という言葉に打ちのめされた。ごもっともだ。スピーチの教育的目的も無い、期間も短すぎて学ぶことが多すぎる。担任や校長からはとにかくやれと言われるのに、詳細がいつまでも明かされない。私だって同感だった。そんな中、折り合いをつけて徐々に本気を出して書き始め、「もっと直したい」と思えるところまで持ってきたんだから、彼らの努力を誉めてあげてほしい。その過程も知らない、認められないというならば、それは傲慢すぎやしないか。

教員側が、教えもしないのに希望するレベルが高すぎるのが最近気になる。
教員側が、「どうせできない」と子どもたちを過小評価していることもとても気になる。
どっちも否だ。子どもたちのレベルを見極め、それに合わせて+αの課題を設定する。きちんと向き合って指導すると、子どもたちは案外ちゃんとクリアしてくれる。
先生たちが子どもたちを嫌っているとは思わない。彼らなりの方法でとても大切にしていると思うから一緒に仕事ができるのだが、技術的な話になると納得のいかないことが多いと最近感じる。(これは自己反省もかねての発言なのだけど)



怒りポイントは主に上記の2つかな。

もちろん私は日本人なのでニコニコ聞き流した。
・・・・と言いたいとこだが、先にもちょっと書いた通り、少しは言い返してしまった(笑)
最近、強気になったなぁと思う。
よく担任の先生にいちゃもんを付けられると腹が立って言い返してしまう←
だって彼らは日本人とは違うんだもん。
言わなければ、無かったことになってしまう。そいつが正しい、ということに同意したことになってしまう。
うちの主任はTHE☆日本人という感じなので、「そういう時は右から左に聞いておけばいいんだよ。その代わりに、ごめんなさいも言わなくていいけど(笑)」と言っていた。
確かにそうなのかも。うまいなぁ主任は。と思う。
でも、それではやはり伝わらないと思うのだ。悪くないのに、言ってる本人は言うだけ言って「ほれみろ、俺が言ったら言い返すこともできなかったぞ」と得意顔になるのが目に見えている。
私は喧嘩がしたいわけじゃない。ただ白黒つけようじゃねぇかって言ってるの。(喧嘩腰じゃないかw)
やってないことはやってない、間違ったことはごめんなさい、理解の行き違いがあったなら「ここで誤解があったんだね」と言えば済むだけの事。何故言わない。

こうやって書いていながら、ああだから日本はいつまでたっても日韓関係・日中関係を清算できずに来たんだと思った。悪くないと思ってるくせに、悪くないって言わないの。「はいはい、そうでしたか。お気持ちお察しいたします」は日本人の得意な態度。でも、絶対言わないの「ごめんなさい」は。
言わなくていいことにはもちろん「ごめんなさい」なんて言うべきじゃない。(おかしいなぁ、日本人はどうでも良いことにはすぐすみませんごめんなさいなのにね笑)言わなくていいと思うなら、それなりの理由と根拠を示す必要があるのだ。それが出せないなら、否を認めるしかなくなる。裁判と同じだ。


なんだっけ。ああそうそう、担任にいちゃもんつけられたら、私は言い返しちゃうって話。
主任が穏便にことを進めてくれる守備的役割を担ってくれているので、
私は安心して攻撃態勢に入れるのです。それもこれも、国語科を守るためだもの。
悪くないなら悪くない、至らないところがあればごめんなさい。拙い英語でも、伝えるのが私の役割だと思ってる。

なので、今回の件も色々こちらの話も伝えておいて、あなたの言っていることはもちろんわかる、ということも伝えて、結果的に、今年は課題がたくさん見つかったから来年は改善していこうねって話ができた。それから後はいつも通りだ。「ねむいのー?」「ねむくなーぁい」なんて会話をのびのびできる。
ああもう。なんか、教員側だよな。改善されるべきは。私を含め、英語をもっと使えるようにならなきゃだし、コミュニケーションをもっと丁寧にとれるようになれれば、すごくいいチームになれそうなのに。何かが足りない。そもそも、学校の未来が見えない・・・・


体育祭で子どもたちが可愛すぎて、守りたいと思うほどに、
学校の現状を考えると胸が苦しくて、せっかく早く帰ってこれたのに3時間以上鬱状態でした。
自己嫌悪、現実逃避、危機感、不安定感、裏切られた感。
こんな精神状態、もうやめたいなぁ。

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