どんな先生になりたい? 大学院生生活 2015年06月10日 日本語が教えられる国語教師であり、リテラシーを教えられる日本語教師でありたい。はい、気が付けばM2の6月。もう10日も過ぎてしまったんですよ。修論の中間報告会まであと少し。ってことは卒業までもあと少しってわけで。最近、真剣に卒業後どうしよう・・・ってことを悩んでます。大学院に来て、自分が今までモヤ~っとしていた教育方法にメスが入って、加納先生やここで出会ったたくさんの理論やら実践に本当に感謝してます。IBにもどんどん関わりたいと思うようになって(まだ勉強不足だけどさ)。いいな~、やってみたいな~、がいっぱい溜まって、いよいよ、どこでどう働こうかってのを真剣に考える時が来ていたのです。しかし、これが決まらない。みんな就活をあんな早い時期からやってすごいなぁと思うのです。よく採用試験受けるところ、そんなにたくさん決めれたなぁって。私は優柔不断にも、頑固にも、ほどがあるって言ってやりたいですよ自分のことだけど←で、ここ数ヶ月くらいずーっと考えていた「どんな先生になりたいのか」という問い。対生徒という意味では、UNSWに行って「生徒の声に耳を傾ける先生。寄り添っていく先生」という目標を立てていました。大事だけど、これは精神論なわけで。教育理念とか実際どんな教育に関わっていくのかとか、すごく大事なところは全く考えてられませんでした。ぼーんやりと思いつくのは、たくさんの言葉や文化の中で生きる子供たちが、迷いつつ惑いつつ自分の道を闊歩していく姿を思い描いて、よく考え、よく聞き、よく話すことのできる人間を育成したい、ということ。ほんと、それだけ。じゃあなんで「日本語教師」なんだよって。なんで「国語教師」じゃだめなんだよって。たぶん、「たくさんの言葉や文化の中で生きる」っていうところが、私の中で引っかかってるんだと思う。日本の公立中学で教員になるのも良い。だけど、IBの存在を知って、まだまだ日本の国語教育じゃ生ぬるいと感じてしまった。こういう子どもたちに、私は、どこで、何ができるんだ。・・・こういう子どもたちって、どこにいるもんなんだ?←私は、グローバルな世界で生きたい。自己中心的な理由で申し訳ないけど、ほんとそれだけ。何かができるだなんて、おこがまし過ぎて考えられないけど、日本とか、外国人とか、外国語とか、国語とか、そんな区切られた世界じゃなくて、色々あるけど、にゅるっと?ぐちゅちゅっと?絡み合ってるものの中で生きたいから。「seamless」って言葉をTLやバイリンガルの人たちから学んで、これだ!って思ったから。そんな中で私がやってきたことを誰かが「いいね!」って思ってくれたら。ここで、私がやってきたことってのを振り返った。「国語科教員免許状」も、「日本語教育実習」も、「リテラシー研究」も、これから8月に参加するIB/DPのワークショップ(修了証が出るらしい)も、みんなみんな私のレパートリーじゃん。そうか。だから、「国語教師」とか「日本語教師」とかのモノリンガル(笑)になるんじゃなくて、私も「国語教師」と「日本語教師」のバイリンガルになったら良いんじゃないかって思ったの。これ、今日の話www「日本語教師」という冠にしてるのは、seamlessを教えてくれた世界が日本語教育だったから。だから、私がなりたい教師像は。日本語が教えられる国語教師であり、リテラシーを教えられる日本語教師。今後必要になるよ~きっと(笑)そんなわけで。出願先がなんとなく決まりました(^ω^)チャンスは2回。あーまた一悶着あるのかなぁ←私どうなるんだ~www「人生が定まらない女」の名にかけて、楽しんじゃいますよ~(^ω^)
ラルフ・ケレンツ教授講演会(第二回)@玉川大学 研究会/講演会 2015年06月06日 最近、研究会の報告が滞ってるー;;;せめて自分が個人的に行ったものだけでも残さねば。今日行ってきたのはこちら。イエナ大学ラルフ・ケレンツ教授講演会@玉川大学今日は第二回目、「社会的学習の場としての学校」でした。どうやら、玉大の教職課程履修者の学生の必修?だったようで、UNSWを彷彿とさせる大きなホールいっぱいに大学生が集まってました。座席指定もあったようで、部外者の私はアタフタ・・・「お客様用に1番前の席を空けてありますので!」と言われて座ってみたら、「お客様」私だけーーーーーーー!!!!!!!笑職員証・・・恥ずかしがってないでかけとくんだった。うん。かけずに入り込んだから後からかけにくかった・・・涙さて、そんなことより本題ね!(笑) つづきはこちら
インプットからアウトプットへ 大学院生生活 2015年05月23日 来週火曜日のゼミ発表を控えて、最近パンク寸前、というかもはや水蒸気爆発は起こしている状態(^^)←なにもまとまらない。何から書いていいかわからない。そんな日々が続いていました。色んな人が色んなことを言っていて、なんだか似たり寄ったりで頭の悪い私にはその主張の違いとかを一々見抜けるだけの能力もなくて。研究者としては最悪のパターンなのかもwwwでも気づきました。もうインプットの時間は終わり。次はアウトプットをする段に来たんだなぁと。幸い、研究書には「引用文献」や「被引用文献」がある。これを手繰って、自分の系譜にする。そうすれば、溢れかえる様々な言葉の定義に惑わされず、自分のキーワードにした言葉の範囲でまとめることができる。もし、そのまとめた範囲内で違和感があったり、統一感が無かった時に外の意見を参考にすることも可能である「だけ」だ。これも、きっと批判的思考なのかも。入れて入れて混沌とした時代はこれで終わり。井上尚美、トゥールミン関連の論文に集中しよう。反論に気づいたらそれを自分の論で埋めようとするのではなく、それを認めたうえで、自分の研究の立ち位置を見極めよう。こんな当たり前のことが、当たり前にできるようになるのには時間がかかるんだねwがんばりましょう^^
研究背景を・・・ 大学院生生活 2015年05月18日 「読書を伴う協働学習」とするか「協働学習」とするかで非常に悩む。協働学習に関する研究はずっと読書に焦点をあててきたから、読書以外を含むような言及はあんまりできないと思うんだよね。ピア・レスポンスの話も関わらないではないけど。だけど、今回のスポットライトは「学習者の議論」だから、協働学習に細かく触れてしまうとどこにスポットが当たってるのかわかりにくくなっちゃう。読書を入れたい理由は、結局学習者は本とも対話をしているからなわけで、分析の過程で学習者同士の議論過程の中に、本との相互交渉が含まれていることが示されれば、1.読者間でもwarrantの共有が必要2.本-読者間でもwarrantの共有が必要という話ができて、2は読者のもつwarrantの違いによって多様性が認められるから、warrantの出現によって対本、対他者との議論が深まる傾向にあると考察できて、warrantを引き出すには批判的思考の考え方が必要だから、言語教育/文化教育の側面だけでなく、読解授業では思考力の育成にもなるとつなげたかったのだけど・・・いかんせん、文章構成力が弱くて(´・ω・`)でもまだ道は見失ってない。大丈夫。