ラルフ・ケレンツ教授講演会(第二回)@玉川大学 研究会/講演会 2015年06月06日 最近、研究会の報告が滞ってるー;;;せめて自分が個人的に行ったものだけでも残さねば。今日行ってきたのはこちら。イエナ大学ラルフ・ケレンツ教授講演会@玉川大学今日は第二回目、「社会的学習の場としての学校」でした。どうやら、玉大の教職課程履修者の学生の必修?だったようで、UNSWを彷彿とさせる大きなホールいっぱいに大学生が集まってました。座席指定もあったようで、部外者の私はアタフタ・・・「お客様用に1番前の席を空けてありますので!」と言われて座ってみたら、「お客様」私だけーーーーーーー!!!!!!!笑職員証・・・恥ずかしがってないでかけとくんだった。うん。かけずに入り込んだから後からかけにくかった・・・涙さて、そんなことより本題ね!(笑) 【本公演の趣旨】玉川学園=新教育の学校(全人教育を理念に掲げている。IBやBLESの導入など)創立者・小原國芳の言葉「真なるものは、永遠に新しい」新教育の歴史と現在について、学ぶ機会として企画されたもの。【講演の内容】3部構成になっていた第1部は社会的なものと学校のつながりについて概観・個人至上主義…?・個人が社会に、社会が個人にどう作用するのかを考える時、学習によって社会的なものが中に入ってくるという考え方が自然に働く。・学習が社会構造とともに守られてきた・社会的学習とは、「何を」「誰が」教育するのかを考える必要がある。そのためには、社会的現象を捉えることが必要である。・子どもたちへの「社会的作用」について。「作用」とは、学習へと導く行為を指す。・学校は組織され、構造化された場である。つまり、社会的作用を持つ場であるといえる。 →故に、学校無き文化維持は考えることができない(contextに埋め込まれたものだから)・多文化社会においては、個人主義の観点からみた生き方をするのは困難である第2部では学校の存在について”構造”というキーワードから考える☆学校とは何か生きる力、職業に必要な力など、家庭や友人関係では育むことのできない特殊な能力を模索する手間を省く場所である。(?)・学校が存在していることに対する自明性は、学校の価値とは「=」にならない☆学校において不可欠な要素である専門知識を持つ教師、教材、年間計画、施設などは歴史と共に集約された結果である。つまり、普遍的なものでは必ずしもない。☆学校とは、社会の意図と期待に結びつけられた機関である。学校とは社会的産物であり、つまり私たちが組織しているものだ。このことから、社会的学習の場と行為としての学校の存在意義を立てることができる。☆学校とは、学習のためにある場である。(いこいの場ではない)では、学習とは何か。学習とは、教える側の意図と教えられる側の承認があってこそ成り立つものである。だから、教える側は教育を受ける必要があり(?)、教育されるものを学習へと導くものである。・専門性のある教師に導かれて、生徒は学習している。・学校は「人間関係がある場」(グループワーク、修学旅行、部活など)を提供する。「人間関係がある場」は、学校によって構成された場であるということができる。・学校には、更に「慣習」が組み込まれている(体育祭や序列、日本だと掃除とか?)☆社会的学習の場としての学校に必要な3要素:授業・人間関係・慣習※学校に関わるものは、意図的に構成されたもの=構造的なものである第3部では従来の学校を構成する要素をalternativeに批判した2つの教育プランの紹介(マリア・モンテソーリの教育モデルとピーター・ピーターソンのイエナ・プラン)(哲学的なことやプログラムの成り立ちについて。細かいことは本を読んだ方が速そう)☆社会的学習とは何か。この答えを見つけるために、「3要素」について考えることが大切☆”構造”(社会的?保護者などからの期待?学校内部など)が学校に影響を与える。【質疑応答】Q.学校を道徳的側面から考えた時、道徳的権威/道徳的な場として捉えることができるか。(戦後70周年といった節目でもあるので)A.道徳的側面として捉えることも大切だと考える。この「道徳的側面」というものについては今後も議論されるべき内容である。また、「道徳的側面」は今回の用語でいえば「慣習」にあたるものであり、祭りなどの行事を行う慣習的な活動を行う時に大切なことは、「過去と向き合うことである」。この「過去」が何を指すかというと、その行事や活動の内容や形式(作法)を指す。これらを通じて道徳的な学習の場として学校は存在できるのではないか。Q.(聞き逃し:フリースクールなど正規の学校に通わない(通えない?)子どもたちと、学校の関係に関する質問)A.非常に興味深い、良いテーマである。国によっては、学校に通うことが期待され、学校に通うことを通して社会化が求められている。これはつまり、国が学校に関して制度化に関心を持ち、期待をしているということができる。ドイツでも、「正規の学校へ行くこと」に対する議論が出てきている。しかし、この問題には「こうすべき」という答えを出すことはできない。でも非常に重要な問題であり、(子どもがひとりで発達することができるというなら、それはそれでOKなのだが)学校に行けない(いかない?)子をどう社会と結びるけるのか、私たち一人一人がこのことについて考える必要がある。【感想】・質疑の2つめは私も非常に面白いテーマだと思った。そもそも「学校に行くこと=社会的に認められる」というような風潮があることに疑問を投げかける人が日本でも増えてきている。(坂爪さんとかみっつさんとか)でも、もっと大きな問題として「社会との結びつき」が「社会的に認められること」とは必ずしも「=」にはならないことに気を付けなければならない。学歴社会で生き抜いてきた教師や研究者たちには、この違いに気づかないことが多いんじゃないだろうか。(日本語教育にいてそう思ったことはあまりないのだけど)・今回の講演で挙げられた「学習」に対する考え方は、少し教師の力が強すぎるように感じる。教師の誘導によって学習者が学習を進めていく形では、結局学習者が自分で考えることにはならないのではないか。でも、イエナプランをざっと見た感じだと学年を超えた話し合いを通して協働学習を行っているようである。ということは、思考のプロセスを誘導するだけであって、根本の答えは学習者が見つけていくということなのだろうか。・イエナプランやIBなど、特徴的なプログラムの違いについてまとめる必要性を感じた。【その他】・逐次通訳の限界を感じた(笑)「理解をしていないと(言語的に)アウトプットするのは難しい」。うん、なるほど。こうしてまとめてみると、今日の話、とっても面白かったな~第3回は日曜日です! PR