学生さんからの贈り物 海外教育実習/シドニー 2014年09月18日 月曜日はLectureの最後。火曜日はtutorialの最後。そして今日はいつも実習してたseminarの2クラスの最後。週の初めはまだまだ終わる気がしていなかったのだけど、じわりじわりと終わりが見えてくる。tutorialでは「また明日セミナーにいるでしょ?」みたいな空気も若干あったりして、なんとなく最後感がなかったのですが、今日は本当にこれで最後の子たちなので、学生さんたちの「あ~…」っていう反応がちょっと嬉しかった。中には、わざわざ挨拶に来てくれる学生もいて、他の子が話しているのを待ってくれてる学生さんもいて、なんとプレゼントまで用意して来てくれた子もいて。やっぱり学生さんたちと一緒にいるのがうれしいなって思った。最後のクラスで連絡先を公開するチャンスを先生がくださった。その場でチェックする女の子。写真に残している男の子。その内の何人が本当に連絡を取り続けるかはわからないけれど、またどこかで出会えたらと思う。私を成長させてくれた学生さんたち。本当にどうもありがとう。明日のcapstoneで締めます!!!笑 PR
そろそろ研究計画をまとめねばならんのだけど。 大学院生生活 2014年09月15日 まとまらないので、頭の整理から!←そもそも。私は「研究をして何がしたいんだろう」というところを、整理しないといけないんだと思います。したいことはたくさんあるんです。外国由来の子どもたちの支援活動を続けたいとか、それに貢献できるような成果をだしたいとか。日本語教師として一生日本語と日本語学習者と関わっていきたいとか。したいことは山ほどあるんです。でも、自分はひとりしかいないから。何をするかをそろそろ決めなければいけないと思うんです。じゃないと、研究の目的も定まらない。これまでは、身近にヤングのみんながいたから「外国由来の子どもたちの読解ストラテジー」というテーマを大事に抱えて日本語教育コースに入ってきました。ついでに、そういう仕事に就きたい、日本の公立中学校で彼らに日本語を教えたいと思って、それだけがしたくて来たような気がします。だけど。それだけじゃ、この世界生きていけねーよ。って。何より、UNSWに来て、「学習者に関わらないと問題も浮かばない」ということがはっきりとわかりました。大学院に入ってからというもの、一度も「外国由来の子ども」とは(まともに)関わっていません。ちょっと遊びに行くくらい。そんなんで、研究できるのかな。ましてや、子どもに関わる日本語教育の世界は本当に限られてて、運をつかむようなもの。もう一度、考え直してみる必要がある。ってわけで、昔をちょっと思い出してみた。「やっぱり日本語教育がいい」と思ったその時、私は「留学生」と「文学」のそばにいた。文学の種類はひとつじゃなかったけど、例えばジェイク。彼と私の出会いは日本語の授業だったけど、文学についていつも話し合った。日本文学から彼は何を得ていたんだろう。でも、彼が読んだ小説について色々聞いて、言葉の解釈や日本の文化的な価値観について考え会った。それから、キョクオッパ。オッパは文学というより、論文を書くための新書を読まなきゃいけなくて、それを一緒に理解したり、どういう風にするのがいいか、韓国と日本の共通点は何かと確認した。漢字も勉強したっけ。このことを考えると、文学や読書が日本語教育に活かせることは自明的で、それなのに教室活動で行うのは「話すこと」「書く」ことに焦点が当てられやすい。(私はどちらかというと、インプットの方に興味があるなぁ。「聞く」とか「読む」とか)インプットができなければアウトプットはできないしね。それでもう一つ大切な要素が、「協働学習」だと思う。「協働学習」の中で、学習者同士はどのようなコミュニケーションをとっているんだろう。っていうのが、私は最近興味がある。例えば、UNSWの実習でグループワークを見てきたとき、できる学生ができない学生を引っ張るようになるまでの過程がとても興味深かった。最初は誰も口を利かないで黙ってたり目を合わせることもしなかったのに、それが何かをきっかけに話が動き出したり、あるいは止まったり、展開したりする。ここの大学は共通語が英語だから、様々なバックグラウンドをもった学生たちが日本語と英語を介して会話をする。時に、中国語が使われたり、韓国語が使われたりすることもあって、基本的には共通語の英語を利用したが日本語を使うために認知が促進されればなんでもありの環境だった。日本の大学でこういうグループワークをする時には、どんな言語使用をしてみんなは理解を深めてるんだろう。ふむ・・・ここまで来て考えられるRQは…?この三つでいけないかな。いーーーやーーーー広いかな。広いな。1文学を日本語教育にどう生かすことができるか。2日本の大学の留学生同士でグループワークをする際、どんな言語使用がされているのだろうか。3グループワークをしたり、何かを読んでいる時の個人の言語使用の実態はどうなっているのだろうかどれかだ。どれかに絞るしかない。1は広いな。広すぎる。1をベースにして2,3をつなげられないかな。2は、研究目的はなんだ?それを知って、何を考察するんだ?3・・・も、2と同じ。「気になる」だけじゃだめだ。ひとつ言えるとしたら…「直説法」への批判?←wwwだめだ・・・大学の留学生の授業で何を目的とするかが大事かも。例えば、UNSWの日本語コースなら、その理念の中に学習者が主体的に活動ができるようになるとこ、学習者どうしがコミュニティーの中でダイナミックに学習をすること、それによって日本語を習得していくことっていう理念がある。理念・・・そう、それだ。曲げない部分・自分が曲げない部分が必要なんだ。私がどんな日本語教育をしたいか。それがまず重要なんだ。あれ・・・また原点に戻ってきた?だめ、今日はこれで終わり。お疲れさま。
学生ひとりひとりと関わり始めて見えてきたこと 海外教育実習/シドニー 2014年09月09日 どうもっElly@Sydneyです^^早いものでこちらではWeek7に入り、実習もいよいよ大詰め…明日の授業の流れを再度確認しなくちゃー!と思いながら、最近学生さんたちひとりひとりとゆっくり話す余裕(と、学生さんたちの心の余裕?笑)が出てきて、色々なことが見えてきたので覚書き。やっぱりクラスには、「みんなで言ってみましょー」という流れでも、断固として口を開かない学生もいるものです。今日見学にいったクラスには、前半こそ、積極的に何か言っていたのですが最近は妙に大人しく、グループワークにも参加しなくなってきた男子学生がいます。なんだか、彼からは「日本語を話したくない」という雰囲気を感じていました。ちょっと気になってたので勇気を出して声をかけてみると、怒涛の英語リスニングが!!!!!!!!笑足りない英語力で解釈すると、「Week6まではCatch Upできてたんだけど・・・・」「今日のクイズとか、来週のインターアクションテストが・・・」といっているのはわかった。Catch Upを何度も繰り返していたので、きっと重要なwordに違いないと思い、その場ではとりあえずゆっくり話を聞いて(←?)、戻ってきてから調べると…Catch Up=追いつく、取り戻すなんとなく予想はしていたものの、確信に変わった時にぐっと胸を締め付けるものがありました。なんでもっと前から声をかけてあげなかったんだろう。私は英語が苦手で、彼の日本語力を考えると、なんとなく避けてしまっていた自分がいたのも事実。何より、グループワークやクラスでのコーラスの時の彼のつまらなそう/つらそうな顔が今となってはどうしても目に焼き付いて離れません。彼の隣でいつもペアワークをしている学生くんは、最近私の存在に慣れてきたのか、ちょっとふざけてみたり質問したりしてくれるようになりました。でもその学生くんも、最初は何を言っているやらわからんと言った感じで、たまたまそれに気が付いて声をかけてから、そういう感じになってきたんです。その時、私は何も答えを言っていません。ただ、「どう思う?」「○○ページに書いてなかった?」と声をかけただけ。自分も韓国語とか英語勉強しててそうだけど、「わからない」「できない」というのが一番苦しい。そして、自分がモヤモヤしてわからないでいるのに、周りがなんとかついていってるのを見ると、悔しくてもっともっと苦しくなります。(大方、周りもよくわかってないということが多いのですがw)だけど、そのモヤモヤを自分の力で乗り越えた時、それがどんなに小さいことでも、教えられた時よりずーーーーっとすっきりするんです。日本語を学んでいる学生たちもきっとそう。子どもかよ!って思うかもしれないけど、「自分で」覚えられた「自分で」わかった「自分で」気づいたそういう時が一番覚えるための刺激を得られるような気がします。でも、結局「自分ひとりで」何でもできる人はいません。その影には、必ず誰かのエンカレッジとかスキャフォールディングがあるんです。(論文にいくら書かれてても、自分で経験しないとわからないもんですね。)今は人の授業に入って「サポーター」として存在できているのだから、そういうサポートしてあげれるようになりたいな、と思いました。他にも、学生さんが「楽しい!」と思うポイントはまだまだあります。こちらの先生の受け売りですが、相手の意外な一面を知ることができた時、人はそこに楽しさや興味を覚えるそうです。人と関わることの楽しさ、さらにそれを外国語ですることのできる楽しさ、そういったものが重なり合った日本語の授業ができると、学生たちも楽しくなるのかもしれませんね。ってわけで、最近私は韓国系の学生に韓国語で話しかけられます←共通点が見つかると、グッと距離が縮まるもんですねwでもみんながすごいのは、授業中は日本語で話しかけてくること。私が英語が苦手だけど、簡単なのならわかると思って英語で一生懸命質問してくること。テストに向けて勉強の質問をしてくること。そして、私のへったくそな英語やわかりにく日本語を一生懸命理解しようとすること。好きなアニメがたまたま一緒で、毎回授業で「先生、あれ観た!?」と聞いてくること。私の誕生日を覚えててくれて、祝ってくれた学生もいた。こうして、私が学生さんたちのコミュニティの中に組み込まれていっているし、私のコミュニティの中でも、学生さんたちとの繋がりが太くなっていく感覚があります。「日本語」っていうコミュニティの中に生きるって、こういう感じなんだなぁと思いました。なんだか書き出したらまとまらなくなってきました!明日の授業のこと考えなきゃだし!実習回数はtutorialが明日とあと1回。seminarが明日で最後TT(しかも宿題パート2回だよーTT)大事に大事にしていきたいと思います。
土曜校の見学@sydney 海外教育実習/シドニー 2014年08月24日 さて、Elly@Sydneyです。お茶大の海外日本語教育実習という機会を得て、夏休みの7週間(今年は8月1日~9月19日という日程)シドニーのUNSW(ニューサウスウェールズ大学)の日本語コースにて教育実習をさせていただいております。学習者主体、community of practiceの理念のもとに運営されている本コースでの実習は、私が今までに経験してきた教育実習、模擬授業のどれとも違って、殻を破るのがとても大変でした。(いまだに破れていない部分もありますが)毎週、毎回、授業をするごとに新しい発見があります。その話も書きたいなーとか思いつつ、なんやかんや実習三週目(こっちの学期としてWeek4)が終わってしまいました。そんな中、去年の先輩方の報告書を参考に、学外の見学もさせてもらう機会をいただきました。そのひとつが、昨日行った「土曜校」。キャメレイ小学校というところで毎週土曜日に行われているそうです。学校の授業の印象は今まで実習で見てきた、あるいは実習で意識してきた「日本語」の授業とは全然異なる、いわゆる「国語」の授業のようでした。見学させてもらったクラスは3クラス。1時間目は1年生。2時間目は2年生のクラスにて中学3年生による漢字先生。3時間目は4年生のクラス。どのクラスも、とても印象的でした。1年生のクラス。担当の先生はUNSWの学生で、高校で教育実習中という先生でした。とてもお若くて、とても元気。しっかりした信頼できそうな先生でした。小学校1年生ともなると、本当に小さくて、本当に落ち着きがない!!笑宿題の提出、展示作品の回収、ひらがなテスト、そして初めての漢字学習でした。(私は主に子どもたちの採点補佐をしてました。)「みんなで一緒に」ということより、「自分を見て!」の方がまだまだ強い年頃で、先生の指示が通ってるんだかとおってないんだか…(笑)しかし面白いのが小学生。みんな、教室に入ってきてまずやることがわかっている。そして文字や新しいものに対する強い執着を持っている。先生曰く、「新しいものが大好きなのです」と。漢字の勉強を始めると、すでに勉強している子がさっさと前に出てきて「書けるよー!と書き始める。それを見て、まだ初めての子どもたちは一生懸命練習をする。書くスピードが遅く、アピールが弱い子はどうしても遅くなる。レベルの差が大きいのがこの学年の特徴だと、先生が仰ってました。そのために、プラスαの教材の準備、子どもを飽きさせない工夫が必要なんだとか。小学生ならではの工夫が必要なんですね。漢字先生のクラス。実は、このクラスが一番感動しました。何に感動したか。中学生たちの工夫を凝らした漢字の授業に、子どもたちが目をキラキラさせて食いついていたこと。「勉強」って、きっとこういうことを言うんだって思いました。緊張してガチガチで、どうしていいかわからないような中学生のお兄さんお姉さんだったけど、あんなに楽しい漢字の授業は初めて見ました。小学生たちもとてもとても楽しそうでしたが、先生たち曰く、「中学生の方も大きな学びがあるはず」だと。土曜校は週1回。子どもたちは、平日はLocalの学校に通っているそうです。それはつまり、日本語に接する時間がどう考えても短いことを示しています。日本語を使う機会が少ないのだから、いわゆる日本の学生のように日本語が伸びるわけがない。そのため、中学三年生たちでも小学生程度の漢字レベルしかつかないそうです。その中学生たちが、一生懸命準備をして、勉強をして、かわいい名前カードを持って、小学生のクラスにやってくる。それを見て、小学生たちは(無意識のうちに)「将来あんな風になる」とモデルを見つける。「先生」「生徒」の関係ではない、より近い者同士の学習の利点でしょう。さらに、伝える準備を十分にしてきたものに対する「学習者」の反応は正直です。実習に向けての反省にもなりました。そして4年生のクラス。新聞づくりをしていました。最後に先生が「先生になる大学生のお姉さんたちに、何かひとことを」と言った時のこと。子どもたちは「がんばってください」という言葉を全員がかけてくれました。中には、「また来てください」「先生になったら大変なことが多いかもしれないけど、がんばって」「テストがんばって」という子たちもいて、子どもたちなりに色々なことを考えているのだなと感じさせられました。大人は、言葉が思いつかないとつい何も言えなくて黙ってしまうのですが、子どもたちはたとえ同じ一言でも、それぞれの気持ちを込めて伝えようとしてくれていました。感慨深い一日でした。午後は7月の研究会の「継承語」の部分のみをビデオで見ました。片岡先生、、、ちゃんと読まなくちゃ。と、そろそろ図書館の閉館のお時間です・・TTまた気が向いたら書き足そうと思います。では。
心と部屋のシンクロ率 大学院生生活 2014年07月13日 結構高いと思います、心と部屋のシンクロ率。みなさんは、テスト前の時に限って部屋の汚さが気になってしまうことってありませんか?私はがっつり、そのタイプです。だからと言って片づけられるタイプではないのですが、テスト前で心が荒んでしまい、「あーもうまじイライラする腹痛い」となった時、ふと自分の部屋を見回すととんでもなく散漫な状態になっていることがあります。(というか、私の部屋は基本的に散らかっているのですが、それ以上に)自分でも管理しきれなくなった部屋の汚さ。そういう時は、だいたい自己管理が不能になるくらいイライラと焦りとでいっぱいの時です。なぜテスト前に部屋の汚さが気になるか。たぶん、自分の心の荒み具合に気づくからでしょうね。そして、一気に片づけてしまいたくなる。不思議と、勉強を一切やめて片っ端から片づけてしまうとその間に心もすっきりして、勉強がはかどったりしますよね。捨てる、しまう、片づける。部屋の片づけと心の片づけはそっくりです。部屋を片付けられない人、ものを捨てられない人、資料を積み上げてしまう人、本棚が雑然としている人。(ちなみに私はこれ全部←)自分で自分をフォローするようでなんですが、たぶんこういうタイプの人って基本的にやることが多い人なんだろうと。次にやること、次の次にやること、その次の次の・・・という風に、いちいち片づけていたらキリがない。片づけていたら忘れてしまう。(そして整理しきれなくなって、最終的に忘れている←)そんな人なんだと思います。だから、いいんです。時々気が付いたときに片づけるから。ほっといてください。ねえ、お母さん←私の母は、基本的に雑然とした私の部屋が嫌いです。部屋に来るたびにいちゃもんをつけて出ていきます。気持ちに余裕がある時こそ笑って流せるのですが、割とやることがいっぱいでパソコンから離れることができず、いろいろなものを放り投げて資料作りをしている時などに「ねえ、よくこの部屋にいられるね。気が付かないの?あーいうのとか、あーいうのとか、なんか気になるよね?すごく散らかってるよね?」なんて言われると腹が立ちます。というか、彼女の言い方の問題もあるのですが。とにかく腹が立ちます。しっとるわ、自分が片づけられてないことくらい。そして気になってて片づけを優先できる状態だったらとっくにかたしてるわ。そんな反抗心で腸が煮えくり返ります。これでも、自分でもがっかりするんです。どんなに片づけても1週間は持たない。戻してしまったらやることを忘れてしまいそうな恐怖。手元にあればすぐに目につくし、積まれていることでやるべきことがどれだけ溜まっているかがわかる安心感と表裏一体に存在する抑圧感。あらゆるマイナス思考の要素が大きな塊になってのしかかる時もあります。だから、余裕がある時は私だって片づけます。そんな様子を20余年も見てきたくせに、人が血眼で作業をしているのに、「部屋が汚い」と背後でぶつぶつ言われることの腹立たしさ。今日は思わず、「ああああああああああ、うるさい!」と怒鳴ってしまいました。本気でそう思いましたし、とにかく部屋から出てってほしくて言いましたが、多少は反省もしています。集中力がぷっつんと切れてしまい、いらいらと胃のキリキリだけが残ってしまったので、今こうしてブログに感情をぶつけまくってます。怒りも、情けなさも。大人げないです。こうしてまた負のループにはまりかねないので、今日はこの辺にしておきますが、ちょっとまた一息ついて作業したいと思います。今週は発表発表発表だぁー。課題提出もせまってるぞ。がんばれがんばれ。