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The flower that blooms in adversity is the rarest and most beautiful of all.

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議論の技法-トゥールミン理論の原点(第1章)

<問題提起>
種々様々になりつつある「議論のすべてが度の程度同じ手続きで評価できるのだろうか。つまり、度の程度同じ種類の語によって、同じ種類の基準に訴えることによって評価できるのだろうか。」

<用語>
議論の場
同一に事柄について話をしていても、ものの見方や考え方の根本が異なる場合、その話が交わることはない。同じステージで話をしていないことになるから。この状態を、「議論の場が異なる」という。
場不変的
場依存的
「何がその場のいかんにかかわらず同じ(場不変的)であるのか。また何が、ある議論の場から異なる議論の場へ移った時に変化する(場依存的)のか。」

この章で、トゥールミンは「異なる場にある議論を批評するのに、どのていど共通の基準が使えるか」ということに焦点を置いており、批評する際の基準をいかに厳密に比べるかということを議論したいのではない、と述べている。

<引用>
「議論の批評と評価に関する規範はすべて、実質的に場依存的であり、一方、評価語のすべてはそのの点で場不変的である、と結論付けることにする。」
法的手続きにおいて「論理的評価は形式的手続(太字)を必然的に伴う行為である」とし、議論のレイアウトについて述べる際に問うべき問題について触れている。


<第1章で残された課題>
「異なる場で私たちが採用している基準の違いはなくせないのか」
「どの程度まで一般的な論理は可能であるのか」→議論の形式と批評で参照する基準が場不変的であるように議論し、批判することはできるのか
哲学的な研究者が求める議論には、議論に普遍的な形式があることを発券し、議論の評価のために普遍的な判断基準を構築すると言う野望がある。
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Instagramの使い道

さてさて。
facebookで「詳しくは云々」言ってしまったので書いてしまおうと思います!


この4月から、とある伝手によって、とある高等教育機関で
テレビ電話を用いた日本語授業(対台湾の高校生)をすることになりました。
実は今日が初授業の日。
「授業準備」とは、これから説明するこの授業の一部のことでした。



この日本語のプログラムでは、毎回授業の初めに日本の事情紹介をすることになっています。
これが何か決まりがあるとか、すごく堅苦しいものではなくて、
上司である先生方からも自由にやって良いと言われておりましたが、
自由ほど難しいものがなくて・・・・・

彼女たちが興味を持ってくれそうなもので、
今話題だったり、今の日本を伝えられるようなもので、
かつ私のグダグダな初級日本語使用レベルでも伝えられそうなもの…←(これ一番難しい)


もともと流行にも疎いし、
テレビとか「슈퍼맨이 돌아왔다(スーパーマンが帰ってきた)」をyoutubeで見るばっかり。
気が付けば女子高生時代なんて7~8年も前の話になってしまったし、
「今日本で流行ってるもの/話題になっているものってなんだ?」からのスタートでした。


インターネットを泳いで泳いで、やっと見つけた「イケる!」と思ったニュースがこれでした。

こんな生活が、これからも増えるのかな?

やらなきゃ!と思うことがあって、
今日は夕飯をうちで食べるのを諦めて学校に残ることに。


で、気がつけばこの時間\(^o^)/※22時



学校出たの21時半回ってて、
うわー学校しまってんじゃないの?出れなんだらどうしよ。って思ってたけど、
意外とみなさん遅くまでいるのね。
可愛い娘3人が歩いてるのを見て、
孤独からぐわっと解放された気分でした(*´ω`*)



参考までに。
文教2のドア、オートロックかかってました。
正門は開いてましたが、南門は閉まってました。
21時までなのかな?




しかし、濃かったー


今日のゼミをまとめつつ、
先輩に進路のご相談をしつつ、
先輩帰られてまたゼミのまとめをしてたら、
別の先輩がいらっしゃって、
またありがたいアドバイスを聞きつつ、
先輩帰られてまたゼミのまとめをしつつ…。



で、この時間\(^o^)/


ゼミのまとめが楽しすぎて、結果ノルマ1つしか終わらなかったという(笑)



でも、熱中するって、生きてるって感じするなぁと思いました。
疲れたけど、楽しかったです。







帰りに駅で、加納先生と長倉先生にバッタリお会いしました。
遅くまで勉強していたという事実に対する先生の目に、
驚きの他に、喜びのような光を見出だしました←
今まですみませんでしたこれからも頑張ります、はい。



修論、まだちゃんと進められてないけど、
今後この時間まで残ること多いんだろな。






明日は…。
朝何時に起きるんだっけ。
考えたくないな。
9時からLALAやってます。みんな来てね。
そんなわけで、5時前には起きなきゃ。ふふっ。



ふぁいとーー!!!!!\(^o^)/
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「成功した人生」とは何か

今日はなんだか書きたいことがたくさんあります。
一日やる気が起きなくて、その分いろんなことを考えていたような。
今週の授業のまとめもしたいし。
とりあえず気の向くままに書きます。



最近、彼から教えてもらった「坂爪圭吾」さんと、
みっつ通信のみっつさんのブログ・twitterを読むのが楽しみです。

坂爪さんについては、ネットで調べればあっという間に色々な情報が出るので詳細は割愛しますが、ざっくり言って、家を持たずに生活をしてる男性です。
たぶん、余計なことを考えずに思ったことをそのまま文章にしてるんだろうなぁと思うんですけど、物事の核心をついてきたり、今まで当たり前だと思っていたことに疑問を感じたり。
そんな新しい発見をいつもさせてもらっています。
(月並みな表現しかできなくて自分にガッカリですが)


そんな彼が今日発信したブログを読んで、改めて「成功ってなんだろう」って思ったので
そのことについて今日はだらだらと書きます。

その前に、まずは坂爪さんのブログを読んでみてください。
【KIJ-日本海】すべての美しいものは悲しみを内包している。ー 「こうでなきゃいけないなんてことはないんだよ」と言ってくれるものが、自分には何よりもやさしく響いてきた。



7.「自分でいる」ことと「自分らしくいる」ことは別物で、わたしは、わたしがわたしであることをごまかしたくなかった。
8.生きることに正解もクソもない。
9.余裕がなければ、やさしくなれない。

について、私は自分が「国語教育」にしろ「日本語教育」をやっていくにしろ、
少なくとも心に留めて置かなければならないことだなぁと思いました。

特に、8において「幸せ」とか「成功」とかいう言葉を一義的に捉えてはいけないということを強く感じました。
生徒の中には、勉強が好きな子も嫌いな子も、座学が得意な子も体で感じる方が得意な子も、
学校環境になじめる子もなじめない子も、挙げたらキリが無いくらい色んな子がいる。
それだけ、生き方には多様性があるし、正解の数も無数にある。
むしろ、正解とかはずれとか、成功/失敗なんて二極化した考えがばかばかしいのかもしれない。
みんなの目標が「有名大学合格」とか「大手企業就職」とか「優しい旦那さんと結婚する」とかいうことではないのだ!←

私はこれまで、「夢がない」とか「将来の目標がない」という人たちに関する理解が全くできなませんでした。
この感覚のままでもし自分が教員になっていたとしたら。
・・・・自分の人生観の押し付けですよね。恐怖です。



自分は「夢」とか「目標」を嘘でもなんでもいいから立てることで自分を駆り立ててきました。
そうすることができたのは、たまたま持ち合わせていた才能の一つでもあるような気がします。
こんな私を形容するときに使う言葉。「猪突猛進」。

これって、周りが全然見えてないんですよね。
周りが見えないくらい楽しんでいるならまだしも、周りが見えないくらい自分を追い込んで走ってる感じがします。
さらに重要な点は、この言葉のイメージから力強さは感じても、人を包み込む柔らかいイメージが何も浮かばないということ。
学生である間は、これでも十分良いとは思います。
むしろ、そういう時の方が「生きてるぜ!」って感じがするので。
でも、「先生」である時にこの状態だったら?
少なくとも、私がなりたい教師像からは遠い場所にある感じがします。
そこで2番とか9番での言葉が染みてきました。

「こうでなきゃいけないなんてことはないんだよ」と言ってくれるものが、自分には何もないと思っていた自分には、何よりもやさしく響いてきた。余裕がなければ、やさしくなれない。


自分を生き抜く間は、「猪突猛進」で構わないんです。
だけど、人の人生に関わる時にそのままじゃあ、関わった人の人生を踏みにじってしまうことになるかもしれない。生徒たちと関わる時、私は「こうでなきゃいけないなんてことはないんだよ」という気持ちでいれているだろうか。生徒たちが持つ「レパートリー」を見極め、認めることはできているだろうか。


まだまだ、「余裕」のない先生をしているように思います。



上記の引用にしっくりくる教師像といえば、
私の中ではUNSWの先生方が一番しっくりきます。
福井先生やトムソン先生のようになりたいとは言わない。
だけど、目標にしています。

多様化する時代に生きる人として生まれ育って、
多様化する時代に生きる人たちと関わる以上、
多様な道筋とそこへ向かう機会を用意できるような、
そんな人間になりたいです。



・・・・・私自身にも多様な道を用意してあげなきゃね。

さて。
「成功」について考えるって言ったのに、なんか全然違う方向に来ちゃいました(笑)

一番心がけたいのは、答えを二極化させないってことですかね。
正直、成功した人生なんてよくわからないし、失敗した人生もよくわからない。

だからせめて、
自分の常識や目標に当てはまらないものを、一方的に排除しない。

個人レベルのお付き合いならいいんですよ?(笑)
プライベートでも全部受け止めていたら、ストレス溜まっちゃいますからね。

でも「教育」に関わるなら。
社会で言われている「成功」が全てではないことを自分自身が意識すること。
自分が思っている常識が、もしかしたら違うのかもと疑っていくこと。
自分が理解できない言動をする子どもを、自分のものさしで測らないこと。

私にだってできることを、続けていきましょう^^


つづきは「おまけ」(笑)

中国語講座

加納ゼミは5人中3人が中国人。
研究生の2人も中国人。
しかも、もう一人の日本人の方はお仕事で休学…



そんなわけで、私の周りは時々、
中国語コミュニティーに変身することがあります!
この中で私だけ中国語がわからない?!
そんなの嫌だ!私もみんなが話してるの聞きたい!


ってわけで、
最近ゼミ仲間に中国語を教えてもらっています。

第一回は「一緒に~しよう!」の文形
一起~吧
講師はハンちゃん。
霧雨降ってて、面倒くさくて傘を差さなかった私に
ハンちゃんが傘を差し出しながら
「一緒にいこう!」と言ってくれたのがきっかけでした(*´ω`*)


第二回は「~したい!~ほしい!」の文形
我想(要)~
講師はリンリン。
リンリンは私が中国語にチャレンジしてるの見てすごく嬉しそうにしてくれる♪
「今日はどの文形する?」って聞いてきてくれたので、
欲深い私はこの文形をチョイスしたのでした(ワハハ

ウォーシャン フーニー シュエシィ!
リンリン、君ともっと勉強したいぞ♪
(~を、の文形はまだ未導入(笑))

私は「発音から順序立てて学習する」というのがどうも性に合わなくて、
人と会話しながら覚えていくのが好きなタイプ。
気がついた文型について、単語を置き換えるドリル練習が相性良いみたいです。
(順序バラバラなオーディオリンガルメソッドですね(笑))

しかも、私が同じ文型でしつこく何度話しかけても、
みんなが反応してくれるから嬉しくて(*´ω`*)
通じる楽しさを肌で感じる。
これは外国語学習の一番の醍醐味ですな。



最後に、私のメモ帳をご紹介(*´ω`*)

発音は韓国語で書いた方がしっくりくることがあるのです♪
日本語と韓国語と英語と、その時自分が一番しっくりくる音を当ててます。

音声はtranslanguagingしないって加納先生仰ってました。
だけど、音声こそ「1つのレパートリー」として私は感じやすいので、
ストラテジーとしてこんな風にアレンジしてます。
今思えば、これは韓国留学してから出てきたやり方かな。


では!