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The flower that blooms in adversity is the rarest and most beautiful of all.

議論の技法-トゥールミン理論の原点(第1章)

<問題提起>
種々様々になりつつある「議論のすべてが度の程度同じ手続きで評価できるのだろうか。つまり、度の程度同じ種類の語によって、同じ種類の基準に訴えることによって評価できるのだろうか。」

<用語>
議論の場
同一に事柄について話をしていても、ものの見方や考え方の根本が異なる場合、その話が交わることはない。同じステージで話をしていないことになるから。この状態を、「議論の場が異なる」という。
場不変的
場依存的
「何がその場のいかんにかかわらず同じ(場不変的)であるのか。また何が、ある議論の場から異なる議論の場へ移った時に変化する(場依存的)のか。」

この章で、トゥールミンは「異なる場にある議論を批評するのに、どのていど共通の基準が使えるか」ということに焦点を置いており、批評する際の基準をいかに厳密に比べるかということを議論したいのではない、と述べている。

<引用>
「議論の批評と評価に関する規範はすべて、実質的に場依存的であり、一方、評価語のすべてはそのの点で場不変的である、と結論付けることにする。」
法的手続きにおいて「論理的評価は形式的手続(太字)を必然的に伴う行為である」とし、議論のレイアウトについて述べる際に問うべき問題について触れている。


<第1章で残された課題>
「異なる場で私たちが採用している基準の違いはなくせないのか」
「どの程度まで一般的な論理は可能であるのか」→議論の形式と批評で参照する基準が場不変的であるように議論し、批判することはできるのか
哲学的な研究者が求める議論には、議論に普遍的な形式があることを発券し、議論の評価のために普遍的な判断基準を構築すると言う野望がある。
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