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The flower that blooms in adversity is the rarest and most beautiful of all.

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批判的思考とは何か、なぜ批判的思考なのか

修論追い詰めのこの時期、噂によると他のゼミではM2はほとんど授業に来ていないとのこと。
まあそうだよね。そういう時期だよね。
と思いつつ、加納ゼミM2はふつうに授業に出ております。

その理由は、自分たちの研究に少なからず使えると思うことがあったり、
見落としていた部分に気づくことができたりするからなんですね。


後期のリタラシー演習はひたすら「批判的思考」です。
とにかく「批判的思考」です。
今年最後の授業となった今日、すべての模擬授業の振り返りが終わった今日、
先生から「批判的思考ってみなさんはどう考える?」と問いかけられました。
面白い意見がたくさん出ましたよー。

主張と根拠の結びつきの妥当性を考えるもの、自分と向き合うこと、賛成/反対の結果にとらわれないこと、世の中の政治やメディアのように疑ってかかるものばかりではないこと、環境によって育つもの(つまり、環境によっては育たないもの)などなど

私は一言ではまとめきれなくて、ずーっと黙って聞いてました。
で、授業の終わりころに行きついた結論が今のところこれ。

【批判的思考とは、目の前の事象を受け入れるための準備をすること】

受け入れるためには、無条件に受け入れるのではなく成り行きや原因をしっかり見極めて納得する必要がある。
反対したい事象も、頭ごなしに反対するのではなく反対すべきポイントを取り上げ、自分で納得してから反対する必要があること。
賛成でも反対でもなく、新しい意見が必要な時はもちろんどのような道筋で求める結果に行きつくことができるかを考える必要があること。
全ては、受け入れる態度と、受け入れるための準備として多角的視点だったり、論理的な判断や説得力が必要になったりするんじゃないかなと。


「受け入れる」という言葉に批判(笑)が集まりそうなのでもう少し。



「受け入れる」ことって、他者と共生するためにとても大切なことだと考えています。
多文化共生とか、多言語共生とか、異なるものが一緒に存在するためには、
受け入れ態勢ができてないとだめだなーと思うのです。
日本は鎖国国家だと言われつつ、この100年以上外国文化を受け入れ、発展させながら成長してきました。
劇団四季の浅利先生は、「日本は外国文化に対して非常にフランクな態度を持っている」と仰いました。だから浅利先生は外国のミュージカルを取り入れることに行きついたと。
特に、全く異なるものを受け入れ、自分たち流にアレンジしていく能力は、本来日本人が得意な分野なんじゃないかなと思います。

もう少し浅利先生の話。
ミュージカルは日本語にすると「歌舞伎劇」だそうです。歌って舞う劇。同じじゃない、と。
もともと日本人はストレートプレイも熱心に見るけど、歌って踊る劇も好きなんだと。
そしてその証拠に、「ウェストサイドストーリー」が受け入れられていると。最初は映画として入ってきたものだけどね。
それから、芥川龍之介の息子が浅利先生の師匠だったんだけど、セリフの言い回しがとてつもなく臭かったという。だけど、「それが芥川先生だ」と認めながら、反面教師として自分なりのセリフの言い回しを見出してきた。
こうした考え方が、今の劇団四季につながったと。(なんか色々ハショリすぎた?)
こういう風に、あらゆる要素の共通点を見出し、環境や様々な条件と擦り合わせながら、どのように本質を大切に残しながら伝えていくかを考えていく浅利先生の視点は、まさしく批判的思考だなと。


一方で、中学生のチアリーディング部の番組では、「自分を出せない子供たち」の姿があった。
他人と自分の違いがわからず、「みんなと違うとこを言って」という問いに
全員が「nothing.(ない)」と答えていたのである。
自分と同じ人間はいないのに、違いは無い。これは深い問題だなーと思った。
違いがわからなければ良さを引き出すことはできないし、
自分がダンスでどんなことを表現できるのか、何を表現したいのかが埋もれてしまう。
埋もれた結果、無かったことになってしまう。
自分は何をしたくてチア部にいて、どうしてそれがしたくて、どうやって表現したくて、
でも自分とは違う個性をもった仲間たちと、良さを生かし合いながらどうやって魅せるのか。
ダンスをするうえで非常に大切なポイントが考えられなくなり、
勢いのない無難なダンスになってしまう。
学問だけじゃなくて、部活にも批判的思考が大切だと思わせる番組だった。

以上をまとめると、共通点を見出すこと、違う点を見出すこと、そしてそれを受け入れて表現することは、批判的思考の重要な役割であると私は考える。


今日の授業に戻ってこよう。
次に加納先生からだされたのは、「どうして私が批判的思考を取り上げたと思う?」という問い。

私は、言語と思考は切り離せないものだからだと直感的に思い、答えた。
「言語と思考」という本では、色の表現の話が載っている。
思考になければ、言葉にもならない。
その色を2色だと思えば、2色の表現しかない。
10色だと思うなら、10色の表現を使って表現する。
言語のインプットが増えるのと同じくらい思考が育てば、
それだけ、言語と思考のパズルの一致数が上がる。

特に、バイリンガルやマルチリンガルの子達には思考と言語が一致するような働きかけを行いながら、その両方を伸ばしていく教育が求められる。
加納先生の話を振り返ると、Translanguagingは子どもの思考に訴えかけることで本来持っている言語を伸ばし、活用しながら認知力と言語を伸ばすことができるということだったと思う。
言語教育として批判的思考を取り上げる利点は、
テキストから情報を受け取り、理解し、自分の意見を話す過程で、
語彙や文法、レトリックを学ぶ必要があったり、以下に伝えるかの戦略的な思考が必要になることである。



と、ここまで書いてみたものの、まだちゃんとまとまっているとは思わない。

でも、とても考えさせる問いであったということと、
私はやっぱり言語教育と読書指導の連携にこだわりをもっているということがわかった。
その理由も、言葉と思考をとても大切にしたいからなんだぁということがわかった。
大切にし過ぎて自分を苦しめることはあるけど、
それだけ大事なものだと思っているということがわかった。

収穫だった。

研究もうちょっと頑張ろう。
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まるで妖精~だれより素晴らしい~♪

修論検討会向けの提出を金曜日にして、土日はゆっくりさせていただきました。
まじで。まじで追い詰められて泣いた(笑)
そして今後もっと追い詰められるのにwww
実際、修論の続きを書こうと思ってパソコンの前に座りましたが、
何せ鬱になりそうなくらい心が苦しくなるので他の仕事をしてました←
まあいっか。他に溜まってた仕事が進んだ。これで良し。


でね!(←急にため口www)
元気ない時に思い出したのがとある動画。
そう。
2015年3月に公演された「伯爵令嬢マリツァ」(東京オペレッタ劇場)より
「行こう!ヴァラシュディン」のダンス稽古動画です!!!

瀧山久志さんの美声に心撃ち抜かれて観に行った舞台だったんだけど、
リーザ役の富田沙織里さんという方に一目惚れ(笑)
美人で美声でチャーミングで涙出るくらい魅力的だった(;ω;)
twitterで富田さんフォローしてたら見つけたのがその動画です。
(タイトルは歌詞です^^)

この曲がまたテンポが良くて、ネガティブな感情一気に吹き飛ぶメロディーなんです^^
でも、youtubeで見つけた他の人たちのじゃどうしても耳が受け入れなくて(笑)
瀧山さん富田さんじゃなきゃだめ!!!!!!絶対!!!!!!←
ってくらい、たった30秒でも二人の声に心が元気づけられるんです。

今日は、『タッキー好きだから「アラジン」聞こう~♪』って思ったんだけど物足りず。
富田さんセットで威力を発揮するみたいです(笑)
ってゆか、富田さんが破壊力抜群なんだと思います。
たとえるなら、オレンジシトラスの香り???(たとえられてない(笑))
きれいなだけじゃなくて、明るさ、可愛さ、優しさが詰め込まれた、
目が覚めるような声なんです。



3月の同じ頃に東京オペレッタ劇場の公演があるのを知ったのですが、
またそれに富田さんでるのかなぁ・・・
今度はちゃんとお花を持っていきたいなぁ。



この動画を観ながらとてもポジティブな気持ちになってきました^^
あと少し!あと少しで書ききるんだから!頑張ろう♪

富田さん瀧山さん(勝手に)元気もらってますいつもありがとうございます!

涙が止まらない

この何か月か。
月に1回めちゃめちゃ泣きます。

手が震えて、言葉がなにも頭に入ってこなくて、
目の前でおきてる状況にパニックになってしまうんです。


で、今日も1点、2点、ぐらぐらっと来たことがあって、
2度号泣。いや、厳密に言うと3回泣いてる。
「(笑)」ってつけたかったけど、笑えないのでつけません。


で、なんで何がこんなに不安で、泣きたい気持ちにさせるんだろうと。

完璧主義だからです。
くそまじめだからです。


「先生も全部できてなくていいって言ったんでしょ?
だったらあんたが一番書きたいことだけ書きなさい。
周りがどんなに矛盾してようが、そんなの直せば済む話なんだから、
この2年間やってきてあんたが一番言いたいことだけを書きなさい」

母にって言われた。
泣いた。

一番大事なことを忘れてた。

2年間で一番言いたいことってなんだろう。

なんか、データから何かを見出さなきゃとか
裏付けしなきゃとか
そんなことに集中しすぎてて
一番大事なことがよくわかんなくなっちゃってた。


なので、あと4時間。

頑張ろうっと。

前回の記事を読み返して

ここ数年で、PMSらしきものがどんどんひどくなってきました。
もしかしたら大人のPTSD?なんて思われるような言動も顕著になってきました。
程度の差こそあるのだろうけど、世の中にはたくさんの病名がうようよしていて、
当てはめようと思えばいくらでもあてはまるもんですね。


さて、前回の記事「記録になるように色々書こうと思っていましたが…」が、
想像以上にふざけていたので訂正します。


大学院では、「勉強が『仕事』」です。
趣味なんて、甘ったるいものではありません。

私が書いていた「趣味的に勉強する」というのは、つまり『趣味』です。


好きなことを仕事に、とかよくいうけれど、
大学院まで来て、研究者として生きていくことができる人は、
勉強をやらされているのではなく、自らが生涯それと向き合っていくことができる、
『仕事』として捉えることができる人だと思います。

私にとって仕事は、いやいやするものであってはならないという気持ちがあります。
誇りを持つべきですし、向き合い続ける必要があると思うからです。
だからこそ、好きなことや興味があることを仕事にするためにここまで来ました。

が、残念ながら、研究者として研究することは私には仕事にできない。
そう感じています。



じゃあ「先生」になることはどうなのか。
これも正直自信がありません。
実際になってみたらどうなるのか、心配ではあります。

でも、これだけは、諦めちゃいけない気がします。
手を抜いてはいけない気がします。
そういう意味で、大学院でたくさんの人にあって、
たくさんの膨大な知識が世界に存在していることを知ったのは
とても大きな成果であると思います。




働け、私のメタ認知。笑

こんなところで記事を書いてる場合ではないwww


今日はメタ認知の話で涙がでかけました。
優秀な人。先生がおっしゃったその一言が、自分の心を深くえぐりました。
(先生を責めているのではありません。「優秀な人」という言葉を責めているのです)
私の生徒たちが、「優秀な人は○○している」と聞いたら何を思うかな。

自分もそうなりたい!
私もそうすればもっとできるようになる!
そんなことは当たり前だ。
それすら自分はできていない。

みんないろんなことを思うんだろうな。


私はもうどうすることもできないくらいネガティブなので、
これすらできない私は、どのように子どもたちと歩んでいこうか。
それを考える方が早いような気がしました。
私が先に色々知っている必要は、果たしてどれくらいあるんだろう。

それさえも杞憂か。


授業のこと、研究のこと。
まだまだ気が抜けません。

記録になるように色々書こうと思っていましたが…

何せ大学院生生活、充実しすぎてブログの存在を忘れますね←


最近の私の生活は、
1/3 修論
1/3 仕事
1/3 プライベート
で、構成されています←

院生にしてはプライベートの割合が大きいのが気になりますが、
仕事と研究だけが自分の人生ではないということです。
特に、8月に25歳になった身としては真剣に将来のことを考えるもの。
そういうことです。(どういうことじゃ)


まあ何はともあれ、
どれもこれもが、それぞれの息抜きになっています。

修論をしていれば仕事が楽しくなり、
仕事をしていればプライベートが楽しくなる。
プライベートを楽しんだ結果、
修論も楽しく手をつけることができる。
プライベートと修論が楽しければ仕事も楽しく考えることができる。


かつてクソまじめで完璧主義の完全体であった自分は
楽しむことに罪悪感を覚えていました。

楽しんでるってことは頑張れてない。
楽しんでるってことは真剣じゃない。
そう思ってました。

でも、そうじゃないんですね。


確かに、勉強量は足りてないでしょう。
残念ながら、大学院に来て自分が勉強嫌いだということを証明してしまいました。
少なくとも、趣味的に勉強することと、勉強を趣味にすることは大きく違いました。
大学院は、勉強を趣味にできる人が来るべきです。
私のような人間は向いていない。

だから最低限、曲がりなりにも修論を書きましたと言えるように、
日本語教育における議論の技法の育て方を考えたいと思います。
ひいては、日本語教育に限らず国語教育も含めて、
子どもの教育においてリテラシーを伸ばすことを考えていきたいと思います。



10月から後期がはじまりました。
もうなんか、修士終わったような気分です(笑)
何も終わっちゃいないのに。
これから始まるのに。
嵐の前の静けさというやつです。


では、作業の続きに参りたいと思います。