批判的思考とは何か、なぜ批判的思考なのか 大学院生生活 2015年12月17日 修論追い詰めのこの時期、噂によると他のゼミではM2はほとんど授業に来ていないとのこと。まあそうだよね。そういう時期だよね。と思いつつ、加納ゼミM2はふつうに授業に出ております。その理由は、自分たちの研究に少なからず使えると思うことがあったり、見落としていた部分に気づくことができたりするからなんですね。後期のリタラシー演習はひたすら「批判的思考」です。とにかく「批判的思考」です。今年最後の授業となった今日、すべての模擬授業の振り返りが終わった今日、先生から「批判的思考ってみなさんはどう考える?」と問いかけられました。面白い意見がたくさん出ましたよー。主張と根拠の結びつきの妥当性を考えるもの、自分と向き合うこと、賛成/反対の結果にとらわれないこと、世の中の政治やメディアのように疑ってかかるものばかりではないこと、環境によって育つもの(つまり、環境によっては育たないもの)などなど私は一言ではまとめきれなくて、ずーっと黙って聞いてました。で、授業の終わりころに行きついた結論が今のところこれ。【批判的思考とは、目の前の事象を受け入れるための準備をすること】受け入れるためには、無条件に受け入れるのではなく成り行きや原因をしっかり見極めて納得する必要がある。反対したい事象も、頭ごなしに反対するのではなく反対すべきポイントを取り上げ、自分で納得してから反対する必要があること。賛成でも反対でもなく、新しい意見が必要な時はもちろんどのような道筋で求める結果に行きつくことができるかを考える必要があること。全ては、受け入れる態度と、受け入れるための準備として多角的視点だったり、論理的な判断や説得力が必要になったりするんじゃないかなと。「受け入れる」という言葉に批判(笑)が集まりそうなのでもう少し。「受け入れる」ことって、他者と共生するためにとても大切なことだと考えています。多文化共生とか、多言語共生とか、異なるものが一緒に存在するためには、受け入れ態勢ができてないとだめだなーと思うのです。日本は鎖国国家だと言われつつ、この100年以上外国文化を受け入れ、発展させながら成長してきました。劇団四季の浅利先生は、「日本は外国文化に対して非常にフランクな態度を持っている」と仰いました。だから浅利先生は外国のミュージカルを取り入れることに行きついたと。特に、全く異なるものを受け入れ、自分たち流にアレンジしていく能力は、本来日本人が得意な分野なんじゃないかなと思います。もう少し浅利先生の話。ミュージカルは日本語にすると「歌舞伎劇」だそうです。歌って舞う劇。同じじゃない、と。もともと日本人はストレートプレイも熱心に見るけど、歌って踊る劇も好きなんだと。そしてその証拠に、「ウェストサイドストーリー」が受け入れられていると。最初は映画として入ってきたものだけどね。それから、芥川龍之介の息子が浅利先生の師匠だったんだけど、セリフの言い回しがとてつもなく臭かったという。だけど、「それが芥川先生だ」と認めながら、反面教師として自分なりのセリフの言い回しを見出してきた。こうした考え方が、今の劇団四季につながったと。(なんか色々ハショリすぎた?)こういう風に、あらゆる要素の共通点を見出し、環境や様々な条件と擦り合わせながら、どのように本質を大切に残しながら伝えていくかを考えていく浅利先生の視点は、まさしく批判的思考だなと。一方で、中学生のチアリーディング部の番組では、「自分を出せない子供たち」の姿があった。他人と自分の違いがわからず、「みんなと違うとこを言って」という問いに全員が「nothing.(ない)」と答えていたのである。自分と同じ人間はいないのに、違いは無い。これは深い問題だなーと思った。違いがわからなければ良さを引き出すことはできないし、自分がダンスでどんなことを表現できるのか、何を表現したいのかが埋もれてしまう。埋もれた結果、無かったことになってしまう。自分は何をしたくてチア部にいて、どうしてそれがしたくて、どうやって表現したくて、でも自分とは違う個性をもった仲間たちと、良さを生かし合いながらどうやって魅せるのか。ダンスをするうえで非常に大切なポイントが考えられなくなり、勢いのない無難なダンスになってしまう。学問だけじゃなくて、部活にも批判的思考が大切だと思わせる番組だった。以上をまとめると、共通点を見出すこと、違う点を見出すこと、そしてそれを受け入れて表現することは、批判的思考の重要な役割であると私は考える。今日の授業に戻ってこよう。次に加納先生からだされたのは、「どうして私が批判的思考を取り上げたと思う?」という問い。私は、言語と思考は切り離せないものだからだと直感的に思い、答えた。「言語と思考」という本では、色の表現の話が載っている。思考になければ、言葉にもならない。その色を2色だと思えば、2色の表現しかない。10色だと思うなら、10色の表現を使って表現する。言語のインプットが増えるのと同じくらい思考が育てば、それだけ、言語と思考のパズルの一致数が上がる。特に、バイリンガルやマルチリンガルの子達には思考と言語が一致するような働きかけを行いながら、その両方を伸ばしていく教育が求められる。加納先生の話を振り返ると、Translanguagingは子どもの思考に訴えかけることで本来持っている言語を伸ばし、活用しながら認知力と言語を伸ばすことができるということだったと思う。言語教育として批判的思考を取り上げる利点は、テキストから情報を受け取り、理解し、自分の意見を話す過程で、語彙や文法、レトリックを学ぶ必要があったり、以下に伝えるかの戦略的な思考が必要になることである。と、ここまで書いてみたものの、まだちゃんとまとまっているとは思わない。でも、とても考えさせる問いであったということと、私はやっぱり言語教育と読書指導の連携にこだわりをもっているということがわかった。その理由も、言葉と思考をとても大切にしたいからなんだぁということがわかった。大切にし過ぎて自分を苦しめることはあるけど、それだけ大事なものだと思っているということがわかった。収穫だった。研究もうちょっと頑張ろう。 PR