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The flower that blooms in adversity is the rarest and most beautiful of all.

朝日新聞より:母語教育に関する記事から考えたこと

Facebookでもアップしたのだけど、
こちらにも上げさせていただきます。

 以下に引用する記事は、
朝日onlineに登録してないと読めないのですが、
無料登録できるので『外国につながる子ども』や『バイリンガル教育』に関心がある人はぜひ読んでみてください。

ここでは母語教育の重要性に繋げて書かれていますが、
お茶大の日本言語文化学研究会のご講演で、
加納先生が云わんとされていたこととかなりリンクしていると思います。
つまり、translanguagingの大切な考え方である『言語をひとつのレパートリーとして考える』ということが、やっぱりここでも見られるなぁと思いました。

と同時に、
『(あなたにとって英語とは?)自分の半分。(日本語は?)もう半分』
と答えた男の子についてお話しされた時、
先生の言葉に強い思いが込められているのを感じた理由がちょっと見えた気がしました。

「 兵庫)母語教育で子どもを支える 神戸でシンポ」(朝日新聞online:2014/10/23付)
http://digital.asahi.com/sp/articles/ASGBQ3SH6GBQPIHB008.html?_requesturl=sp/articles/ASGBQ3SH6GBQPIHB008.html&iref=comkiji_txt_end_s_kjid_ASGBQ3SH6GBQPIHB008

この記事のなかで、
“吉富さんは「日本語指導のためにも、母語に視点を置いたカリキュラムを開発してほしい」と”おっしゃったそうです。
日本語の指導のためにも、ってのがポイントだと思います。

translanguagingは共有基底言語能力モデルを支持する考え方、といわれていますが(加納先生@お茶大言文講演会)
結局どちらの言語で学んでも、学んだ内容はもうひとつの言語に応用することができる。
それをアウトプットする先が日本語か母語かによって、
本人が適切な方を選べるようになることが大切なのでは…という考え方で良いのかな?

英語は英語、日本語は日本語。
と区別してしまうのではなくて、
どちらもその学習者が持つ言語なんだって考えたら、
プロセスを見ることの大切さが見えてくる気がしました。

まだ勉強中ですが、この概念に出会ってから色々気づかされることが多かったです。
授業でtranslanguagingの回が早く来てほしいし、その回に行き着くまでに勉強することがたくさんあるのだけど…。

Translanguagingについてリンクしなくても、
こういった実践があちこちでもっと増えたらいいなぁと思います。

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