『インターの生徒』というレッテルの話 教員生活 2016年11月17日 うちのある学年は、男子の生活態度が悪すぎてちょっと問題になっています。私も事情により、この秋から週2回、そのクラスの国語を担当することになったのですが、楽しいことをしようと準備したところで、正直いっていつも嫌な思いをしてJapanese roomに戻ってきます。人を非難する言葉。騒がしく、秩序のない態度。質問に答えられない/聞いていない注意力。総合して感じる常識のなさ。イライラしますが、これって子どもたちだけの問題でもない気がしています。私たち教員が、何がよくて何がダメなのか、どうしてだめなのかを何とかして伝える努力を怠ってはいけないと感じています。でも、何を伝える?そのヒントとして、『インターナショナルスクール出身』というレッテルについて考えました。前提として、この学年には日本人が多く、いずれ日本の公立中学や私立中学への進学を希望してる、あるいはどちらにせよ日本に住み続ける予定の子が多いです。子どもたちにとって、自分が今おかれているインターナショナルスクールの状況が『普通』だと思ってます。自由で、規則も緩くて。もっと言えば、あの少ない人数でちょっと頭がいい、ちょっと運動ができる、ちょっと力があるというだけで、自分の地位が絶対だと錯覚しています。でも、上には上がいるということには気づいていない。さらに、人からどう見られてるかなんて考えたこともない。幼いから、それは仕方ないでは済まされません。日本人である、あるいは日本人と同様にこの国に定着する彼らには、現時点で日本国内で『インターナショナルスクール』と呼ばれる学校に通うことの意味を重くとらえる覚悟が必要だと思います。インターナショナルスクールとは無縁の人々が思う印象はたぶんこの2つでしょう。ポジティブな方を挙げます。『うわぁー!インターナショナルスクール出身なんだ!すごいね!英語もペラペラだし、グローバルな人ってなんかすごいんでしょ?!』ネガティブな方も挙げます。『インターナショナルスクール?何それ。ちゃんとした学校なの?』ここに、今の生活態度の彼らの実態がわかったと仮定します。例えば、一人の生徒が公立の学校に行くことになり、今の常識のままの生活態度を取ったとしたら。上記の二つはこう変化します。『やっぱりインターナショナルスクール出身の子だから。日本の常識わかってないよね。』『何あの子。やっぱりインターナショナルスクール出身だからじゃない?』マジョリティではない学校に通うというのはこういうことではないでしょうか。インターナショナルスクールが悪いわけではないですが、やっぱり特殊なものとして見られる。ネガティブなことが見つかれば、その特殊性のせいにされる。そして、自分が与えたネガティブな印象は、他のインターナショナルスクールの生徒の印象にも影響を及ぼす。例:『インターナショナルスクールの子って、○○なんでしょ?』マイノリティに所属するということは、それだけ重い責任がのしかかっているということです。留学経験のある方ならわかるかもしれません。自分の言動、一挙手一投足が、『日本人』のイメージになるんです。ご両親にこうした自覚を持っていただくには、相当のご理解が必要になるかと。それより、本人たちに訴えかけた方が早い。いつかこの経験をすることになるから。私は、マイノリティの子どもたちを『守る』ことばかり考えてきました。でも、守ってばかりでは子どもは強くなれません。この半年、子どもの守り方にも色々あると学びました。バイリンガルならバイリンガルらしく、インターナショナルスクール生ならインターナショナルスクール生らしく、マジョリティの人たちの中で攻めなければなりません。攻めるためにはまずルールを学ばなければ、ステージにも立たせてもらえないんです。そのことを、伝えていかなければと思いました。なんて。頭でわかっていても、私も一人の人間です。子どもでも、暴言はかれると傷つきます。半分は人間としての私が『あんなクラス行きたくない』って言ってます。でももう半分は、教育者としての自分が『このままではあのクラスはまずい』と警鐘を鳴らしています。しょせん週に2回しか顔を出さない日本語教師ですが、少しでもあの子達が日本で生きにくくならないように後押ししてあげたいと思ったり。先生方、文句ばっかりいってないで、「一人一人はいい子だから」と目をそらしたりしないで、もっとちゃんと生活指導しようよと思ったり。一人一人はいい子なのは当然です。人間なんだもの。子どもなんだもの。でも、社会生活で大切なのは集団行動です。意見は色々あると思いますが、集団行動ができることは、日本文化としての良さだと思います。集団があるから個が活かされる。それを理解して初めて、国際人としての一歩に繋がるのではないかしら。さぁ、明日は楽しんで、金曜日も頑張ろう。 PR