このご講演で先生が強調されていたのは、 「Language is not structure, but barbal communication」という所だったと思います。 ”languaging”という言葉について解説されている時に、 Beckerの言葉を引用して「languagingは常に継続していて、終わりがないこと=on going processであること」を述べられ、またCockの言葉から「それは行動ではなく活動なのだ」ということを強調されました。Languagingは、それぞれの活動によって目的が異なる中で、学習者が自分のもっている言語レパートリー(1+1の分断された二つではなく、「私の言語」として持っているものとして、複数言語を捉えている)を戦略的に使っていることから、教えるときも「構造を教えるのではなく、Do languageさせること=social communicative interuction」を意識すべきことも述べておられました。 ただし、だからといってconvension(社会の慣習?)やstructure(文法構造)を教えなくてもよい、とされている点は、言語教育の観点からみて、ただ漠然と言葉を使っているだけでは100%ではないことを示されていたように思います。
私は生まれた時からバイリンガル環境に入れられていたわけではないのでわかりませんが、 Garcia先生はご自身が関わったことのある子どもから「自分の中でスペイン語がハートの部分、でも流れている血は英語」(ルーツやアイデンティティはスペイン語圏だけど、日常使っているものは英語というように、言語が分断された状況を指しているのだと理解しました)ということを聞いたそうです。でも、この考え方はおかしくて、自分の体全体を二つが流れているべき(”should”を使われてたと思います。)とおっしゃっていました。 Cumminsが言及した「二つの孤独(two solitude)」を引用し、両言語に触れる機会を増やしていくことを提唱されていたのも覚えています。 こうした機会は、「生徒と先生との関係の中から育っていく」ということも述べられていました。コードスウィッチングがone language to other language(つまり、相互的なものではなく言語から言語への一方通行の行き来)であるのに対し、translanguagingは色を1つずつ使わせるのではなく全ての色を使わせることであることを、意識することが大切なようです。 1つの言語の達成度をみて「足りない」「欠けている」と捉えるのではなく、学習者が持っている要素をすべて使って彼らの学習(認知とか、読み書きとか、という風に理解してます)を伸ばしていくことはできる、ということでした。
①Translanguaging strategies developed by multilingual students in a Japanese graduate program/加納なおみ ②「キャンパスアジア」プログラム生の3言語能力と使用状況/清田淳子・湯川笑子・庵逧由香 ③Translanguaging in an undergraduate eminar class conducted with English as the (main) medium of instruction/湯川笑子
最後に。 Garcia先生が学校にいらっしゃって、加納先生からご紹介をしていただいた時に 「Oh!! She is my daughter, and you are my grand-daughter.(彼女(加納先生)は私の娘のような存在だから、あなたは孫娘ね!)」と言われた時に、嬉しさと緊張が合わさった複雑な気持ちになりました。今書いた英語・・・絶対違うけど。笑 こんな偉大な先生の孫娘?私が? すごく責任を感じました。私は、一生加納先生の弟子(娘)だし、ということはずっとGarcia先生の孫弟子(孫娘)なんだ。 研究の世界に入るって、すごいこと。すごく責任感を強くもって勉強を続けていかないといけないと感じました。 家(研究の系列)のことはよく知っていないと。