修論のこと 大学院生生活 2016年02月06日 さてさて、修論を提出してからもうすぐ1ヶ月が経ちます。先日、無事に修論発表会も終わって、M先生から「まあ一応…全員合格ということで(笑)」とかいう超絶微妙な修了判定の結果発表を受け、無事に修了が決まりました。一応ってなんだ全然喜べねえよ!と修了予定生一同(笑)結局、その後の打ち上げまで全員ひきずりましたとさ(미워요 교수님ㅋ)さて、修論をどこから振り返ろうかなぁ。1年生の時を考えてみれば、最初は『外国由来の子どもの読解ストラテジー』を研究しようとしてたんだっけ。だけど、「読解ストラテジー」ってめっちゃ範囲広くて、その中のどこに焦点を絞りたいのかわからなかったし、「外国由来の(~につながる)子ども」っていうキーワードにしても研究できる場所が松本じゃあ遠すぎるという難点があったり。1年生の前学期から夏休みにかけて、加納ゼミでライティング方法を学びながらひたすら先生の研究室でりんりん(同期)とマッピングをしたっけか。あの時を先生と振り返ると、先生はいつも「Ellyさんはとにかく広がるし、りんりんさんは全然書けなかったのよね」と仰るの。で、夏休みのオーストラリア日本語教育実習の間、少し時間がある日は図書館や部屋でひたすらマッピング。たくさん関心ごとがあったけど、そのうち「諦めるもの」がわかってきて、まず「子ども」という候補を諦めた。それは実習で「日本文学」の授業に出れたことがきっかけだったなぁ。大きなターニングポイントと言えば、おそらくあれだね。日本文学の授業で、(上級対象の授業とはいえ)上級とは言えない学生たちが、日本文学を読んでディスカッションをしてる。ディスカッションそのものは英語だったけど、moodle上で感想が日本語で交換されたり、自分で作品を作ってみたり、なんだかとても楽しそうで。どうしてそういう状況が成り立つのか不思議だった。もちろん言語使用の面にもとても興味があったけど、まずはオーストラリアの大学の「多国籍」っていう背景に焦点をあてて色々考えてみた。多国籍の学生が、本を読むことを介して、楽しそうにディスカッションをしてる。この事実が私にとってとても重要だった。きっと、外国由来の子どもの教育にも転換できる日が来ると思った。で、帰国してから先生に方向転換の報告。めっちゃ驚かれたねー。そこで「留学生と読書会をやりたいんです」って言った時に先生の目がキラッと光って、「それ、面白いんじゃない?」って。(忘れもしない。だってあれが初めて、あ、先生が面白いと本気で思ってるとわかった瞬間だったから)そこから色々計画を立てて、12月には倫理審査も出して読書会の事前調査を実施。でだよ。事前調査をやってまた焦点がさらに絞られたんだよねぇ。方法はこのままでいける。分析で重要なのはこれ!ってここで気づけたことが大きかった。ここで先生から「ワラント」について初めて教えてもらって。哲学の分野までずるずる引きずり込まれてさ(笑)2月に本調査、3月から分析に入って、その間ずーっとワラントとか議論の構造とか、批判的思考とかの論文を読み漁り、途中で「私の専門なんだっけ(苦笑)」みたいに道を見失いかけたり。哲学やら、社会科やら、国語科やら、なんだか遠いところから近いところまで、色んなところで議論の研究がされてるけど、日本語教育は議論の実践こそあれ、議論の本質に迫るものはそんなに多くなかった。今整理すれば、日本語教育の分野の中でも2010年代以降議論の構造とか批判的思考、言語技術に絡めた研究は急増してる。それだけ注目を集めているテーマに着手できたってのが、誇れるところかなぁ。もっと早くから論文を出している先生方がいることもわかったし。なにはともあれ、2015年の夏くらいまで色々見失ってて、研究は少し停滞。自分が何をしてるかわからなくなったから、分析方法にも苦しんで。質的研究はそこが問題。自分の強い意志と方法に対する根拠を持たなくちゃ、先に進めなくなるところ。それが解決(?)したのが12月頃で、完全にふっきれた感じ。何度も分析結果出して、諦めて別の方法試して、11月末に言文でも発表したけど自信が持てなくて。だけど、言文で聞きに来てくださった何人かの人が「難しいけど、面白いテーマだね」と声をかけてくれたのが一番の力になった。分析方法についても何度も先生や同期に説明して、分析の根拠にも自信が持てて。そうなってから初めて、本文をガーーーーーッと書く気になったかな。(本文自体は夏休みから少しずつ書き始めてはいた。けど(笑))夏休みに少し書いてた研究方法の章、先行研究の章も内容や書き方を大幅に変更したり、12月は本当に怒涛の執筆をしてたかも(笑)加納先生が「修論は本気出せば3か月で書ける」と仰っていたのがよくわかった(笑)提出の1月某日まで、ゼミ生や先生、同期たちなどたくさんの人に自分の原稿を読んでもらって、たくさん修正を出してもらった。「推敲」って、慣れないうちは自分の客観性なんて全然あてにならないということがよくわかった。だって、私の「読みやすい」と他人の「読みやすい」は違うから。人によって「文法」「主述の繋がり」「根拠の有無」「図形の配置」など、焦点を当てる所が全然違うというのも理由のひとつ。出来る限りたくさんの人に原稿を読んでもらうのは大事だと思いました。そんなわけで、修論を何とか提出。冒頭にも書いたけど、1月末に修論発表会も済ませました。発表会も、たくさんの人からスライドに指摘をもらって、話し方、原稿、言うべき内容など、2週間くらいでたくさん修正をしました。こうやって書くと超頑張ったみたいだけど、それでも、私なんて全然頑張ってなかった気がするwww程よく遊んでたし、ストレス溜まったら泣いちゃうし、バイトもしてるし。誕生日も楽しく祝ってもらって、友達誘って飲みにも行っちゃうし(笑)M1の人たち見てると、うわーあもっと頑張れたのかなぁwwとも思う。まあ、その辺人それぞれだからね。院にきて考えたのは、「周りがここまでやってるから自分も」なんて、全然関係ないってこと。研究目的も、研究方法も、研究を進めるペースも人それぞれで。ゴールに向かってどう進むかは自分が決めればいいってことがわかった。だから、程よく力を抜くことも覚えました(笑)ちなみに、2年間超色々考えたりしたけど、修士って、「研究した」なんて全然言えないレベルだということもわかりました。博士後期課程にはいかずに就職することになりましたが、その大変さがわかるようになったからこそ、進学する友人たちの力には全力でなりたいと思います。 PR